大学のクラブに所属した卒業生で構成されたOB会です。(現在休止中ですが、記事は随時追加掲載しています)

 

昭和54年(1979年)9月に第一回総会を開催し以後毎年9月に総会を重ねて来ました。

その後凌霜謡会に出席するクラブOBの数が増えてOB会総会メンバーと重なることが多くなり、また大学が10月にホームカミングデーを開催するようになったことから平成17年(2005年)を持って休止しています。

 

卒業後、謡曲から遠ざかっているが、旧友に会いたい、或いは既にOB会を開催しているなどご連絡頂ければ幸いです。


このページの内容(上から順に)

〇昭和30年の番組表

〇会誌「風韻」のあゆみ

〇米花稔先生のこと(その2、その1)

〇宇治先生「俊寛」録音

〇神戸大学風韻会 1961年(昭和36年)3月発行の会誌「風韻」創刊号より引用

〇合宿履歴表

〇OB会総会


                              2019年3月

《昭和30年の古い謡曲会の番組が入手できました》

                              段野治雄


昭和31年卒業の東谷さんから、昔の謡会番組表を見せていただきました。

昭和30年2月27日 「第3回卒業生送別謡曲大会」 於:神戸大学六甲台学生集会所
昭和30年5月21日 「神戸大学開学記念祭参加謡曲会番組」 於:神戸大学六甲台講堂
昭和30年11月27日 「藤井教授洋行歓送謡曲会」 於:神戸大学六甲台学生集会所

番組の中には凌霜謡会会員では里井・牧・東谷・上野・服部・福永・西野の諸氏の名が見られます。
先生方では師匠の宇治正夫先生と都留千賀子先生、大学関係では藤井茂先生・米花稔先生のほか、
柚木薫先生ご夫妻・小林喜楽・向井利昌・則武保夫・山瀬善一・川上太郎・丹波康太郎の諸先生方
の名があり、多彩な顔触れの盛大な謡会だったのですね。

「洋行歓送謡曲会」とありますが、当時の海外渡航の困難さが偲ばれます。
1ドル=360円で、持ち出し現金は一人当たり200ドルまでだったかな?(昭和40年前後は
このくらいの額だったことを覚えていますが。)




 

 会誌『風韻』の歩み

神戸大学能楽部は昭和7年に創部、平成24年に創部80周年記念大会を催し今に至っています。

 

部活動の一環として会誌を発刊してきましたが、古いものが見つかりましたのでご紹介します。

 

創刊号は「風韻」の名で昭和36年3月発行です。

 

目次にあるお名前や写真をご覧になって、懐かしく思われる方々もたくさんいらっしゃることでしょう。

 

能楽部がこれからも活発に活動してくれることを期待します。

                      (2017.11.8 段野 記)

※宇治先生の創刊号寄稿はこのページ下部に掲載されています。


                米花稔先生のこと(その2)
                                                     段野治雄(2016.03.19)
今年1月に米花稔先生のご紹介をしました。引続いて、先生のお人柄がよく読みとれる文章がありますので引用させてください。文中単に「風韻会」とあるのは宇治社中のことで、大学の部の名は「神戸大学風韻会」です。
なお、これを書かれた2月6日は宇治先生の命日に当たります(1986年91歳で逝去)


      米花 稔 「安宅」から「正尊」まで
                       会誌「風韻」50周年記念号 第23号(昭和58年刊)
「千手」のシテ荒川祐吉会長、ワキ藤井茂名誉会長、そしてツレ小生で勤めさせてもらったのは、昭和57年11月21日上田能楽堂での神戸大学風韻会50周年記念の催しにおいてであった。小生が宇治正夫先生に手ほどきをうけるようになったのは、昭和8年春神戸商業大学入学早々であるから、私にとっては49周年ということになる。その自らの50周年ともいう年、昭和58年1月16日湊川能楽殿で、風韻会65周年記念会で「正尊」のシテを謡わせていただいた。はからずも家元観世元正師を地頭、藤井久雄、吉井順一郎らを地に迎えることとなり、ワキ船橋靖雄氏ら社中先輩の参加を得ることとなった。感激の新しい年を迎えることができ感謝で一杯である。

 

 大学に入ってその風韻会に属しただけでなく、直接に熊内の宇治先生のお宅に通い出したのは、父の影響といえよう。当時姫路の乾物問屋の当主の父は、西宮の先年亡くなられた村上義一師について久しく、翌昭和9年春には姫路市公会堂で同師の一陽会の催しの満員の聴衆を前に「安宅」のひらきをしたので、当時最も油ののっている時であった。健在なそして謹厳な祖父がこれを必ずしも心よく思っていないなかで、今の小生とくらべものにならない熱心さで、修練をかさねる気づかいは相当のようであった。その父はそれから1年たたない昭和10年1月、小生の大学2年の冬、満45歳で没した。翌11年春一陽会で、宇治先生の了解を得て、その限り村上師につき、おなじ姫路市公会堂で「天鼓」のシテを勤めさせてもらったことは、そのためのかなりのけいこもふくめて、今にあざやかな想い出である。

 

 当時の大学風韻会3年間の想い出は、春秋の大会、社中の風韻会参加、関西の六大学の大会など今と変わらないであろうが、仕舞百番会は印象的である。ただ今日の学生諸君のクラブ活動的な先輩後輩間の熱心な交流、合宿などはそれほどでなかった。同期の西尾雄一君は今も現役のようで、時に大学風韻会に参加してもらっているのは承知の通りである。


 私も多くの卒業生と同様、社会に出ると共に何時しかけいこに通えなくなり縁が薄くなった。第二次大戦も終り近い昭和19年はじめ大学に帰り、再び多少とも謡いだしたのは戦後昭和23、4年ごろからであったろうか。藤井茂先生宅とか西宮北口の小生宅近くの集会所など時に応じて宇治先生に御足労をわずらわした。しかし仕事の多忙さからそれも途絶え勝ちであった。その後の四半世紀はいわば予備役の感がある。その間私の内に謡曲のともしびをたやさずつづけさせてもらったのは、もっぱら藤井茂先生の心くばりのお蔭である。大学風韻会の春秋の大会にさそわれ、教官有志でいくつかの曲目で参加し、いやな顔もせずにその都度指導いただいた宇治先生に感謝のほかなく、今思えば厚かましい謡いぶりであった。藤井先生による「間閲点呼」と称して感謝した。若い人に通じにくい用語ではあるが。


 定年をひかえた年の暮、翌春の風韻会60周年記念で「安宅」を謡わないかという宇治先生のおすすめが、今から思うと現役にもどるきっかけであった。はじめにのべたように父の「安宅」の想い出がこのきっかけになったともいえる。新年早々1月5日から宝塚の先生のお宅に通い出した。今日の毎週早朝けいこの慣習がこの時にはじまる。定年の春昭和52年4月24日風韻会60周年記念の大槻能楽堂で、つたないながら「安宅」を勤めさせていただいた。

 

 それからの毎週のけいこ、春秋の大会を通じて、「しかられることのさわやかさ」と「ひとりよがりになり勝ちのいましめ」によって、現役のありがたさをしみじみと味わう。これは熟年期もよいところにきた研究者としての日常のあり方ともっともかかわることがらである。宇治先生に感謝のほかない今日このごろである。

 

 さてこのたびの「正尊」についてである。会近くなってかなり熱心に練習した。間近まで先生の行届いたきびしい指導、しかも最後には「細かいことに気にせずに思う存分に」と緩急にわたる心づかいをいただいた。さて本番に臨む。「武蔵殿かやあら珍らしや・・・」から慎重に進んでこれはいけると思ったもつかの間、家元を地頭とする地の、いつもとちがう本職の迫力はどうしようもない。それに乗って進むうち、起請文半ばにははや思いがけず声量不足を露呈しそうになる。かくて後シテの名のりは、平素以上に苦しくなる。こんなはずではなかったといいきかせ、辛うじてボロを出さずにやっとのことで名のりおえる始末。予期した「正尊」にはとどかぬまま、せい一杯つとめたことに満足しないわけにいかない結果となった。生涯にめったにない貴い経験であった。

 

 余談ではあるが、「勧進帳」の「安宅」の作者が観世信光といわれ、その長男観世長俊が「起請文」の「正尊」を作ったといわれる。作者不詳の「木曽」の願書と共に三読物といわれている由であるが、「安宅」と「正尊」とはいろいろ対比できて興味深い。今の私にとって、とりわけ印象深い二曲であることは、読みとっていただけたと思う。(昭和58年2月6日)


            米花稔先生のこと(その1)
米花先生のことをぜひ紹介させて下さい。先生は大学入学直後に大学風韻会に入部、戦後も凌霜謡会のみならず大学風韻会の発表会へよく出演して下さいました。風韻会OB会会長に就任して下さり、宇治社中の一員でもありました。
 先生は戦前の姫路の乾物問屋の一人息子でありながら後継者とならず、学問の道に進まれました。その乾物屋は戦時統制経済の下で企業統合して廃業となってしまいました。糀屋という屋号で江戸末期からの食料品店で、明治に入って播州の凍豆腐・海苔・椎茸・片栗粉・干瓢・鰹節などを扱う姫路ではかなり大手の乾物問屋だったとのことです。
昆布屋の私のことをいつも「私も乾物屋の跡取りで、あなたと一緒やなあ」となにかにつけて親しくお話をして下さいました。終生笑顔を絶やされなかった明るい先生でした。

 

 略歴は下記の通りです。
大正2年生れ
昭和11年 神戸商業大学卒業、丸紅商店(後の丸紅)調査部に就職
昭和18年 丸紅を円満退社し、平井泰太郎先生の作られた経営機械化研究所(後の経済経営研究所)の助手に就職
昭和28年 同教授
昭和52年 定年退職、福山大学教授に
平成7年  福山大学退職
平成18年 逝去
 著書に「日本信号機械化史」や「日本の産業立地政策」があるように、学問の始まりは事務機械化の研究でした。平井先生とその愛弟子米花先生のお蔭で神戸大学には昭和16年導入のIBM社製のパンチカードシステムなど事務機械化に関する貴重な資料が揃えられており、現在のコンピューターに至る計算機発展の歴史をたどることが出来ます。
また各地の地場産業の研究から始まって産業立地研究に進まれたわけですが、そんな中から用水に絡んで各地の河川への興味が尽きず、謡曲に出てくる川に関する随筆が我々の会誌「風韻」などにも多いのはこのためでしょう。
 学会などの出張で各地へ赴かれると必ず地方紙に眼を通され、演劇の公演があれば観劇に出かけられました。尼崎のピッコロ劇団にも深く関わっておられました。「私は仲間の先生方から『楽しみ学派』だなあと言われています。」
 宝塚の宇治先生宅での稽古で厳しく指導されたあとには、「宇治先生にこうして叱られることが一番嬉しいのですよ、私のような立場になると誰も叱って下さる人がいないんです。いやあ実に有難いことです」と本当に嬉しそうに告白しておられました。
 また先生はメモ魔のようでした。出張先でもすぐに持参のメモ帳が埋まってしまったとかの記事がどこかにありました。また宝塚でも「えーと今日は生協へ買い物に行ってきましたが今年で○○回目でした」と、手帳を出して皆さんに披露されて、皆から、先生はそんなことまでメモされているんですか、いやこれが私の性分なので、などと笑いあったことでした(奥様の足が不自由だったので買い物は先生が行かれていました)。
 情報処理学会の関西支部長も務められて情報学会との関わりが長く続いていたようですが、「学会の事務局員から、メールで連絡できないお人は先生だけですね、と言われているんですよ」、と愉快そうに笑っておられたことも思い出します。
 研究所生活が長く、その間一般学部生との接点が少なかっただけ余計に、風韻会の我々をかわいがって下さったのかもしれません。決してご自分では前に出ることはなく、お願い事にはきちんとお応え下さった米花先生は、あのよく通るお声と共に大学風韻会にとって忘れることのできない大事な先生です。
 表彰
  昭和52年  情報化促進貢献個人表彰(通産大臣)
  昭和61年  勲3等旭日中綬章
  昭和63年  神戸市文化賞
  平成 3年  地域文化功労者表彰(文部大臣)

 なお画像は、左上から時計回りに、
  「歩いて視て思う」           昭和61年刊
  「歩いて視て思うー古希から米寿までー」 平成12年刊
  「歩いて視て思うー卒寿を超えてー」   平成16年刊
  「祖父聞書―萬吉と米花商店―」     平成10年
     (もしお読みになりたい方はご連絡ください)
                       段野 治雄 記 2016.01.11


ダウンロード
宇治先生の「俊寛」録音
高島さん(46年卒)が宇治先生から指導を受けていた頃の録音です。
001俊寛宇治先生音声増幅.mp3
MP3 オーディオファイル 4.9 MB

   「風 韻」

 

                                         宇治正夫
風韻会と云う名前は漢学者、高階柳蔭先生(私の幼時、隣家に住んでおられ、謡は先々代観世清廉先生の門下)につけて頂いたものであり、生れて40数年になります。
 昭和の初め、神戸大学の上筒井時代、能勢虎一氏が物凄い積極性を以て、私を口説かれ、私としては余り親交のあった程ではありませんが、伊勢晋宣氏がその当時教えに行っておられたのを知っていたため、その了解があれば参りましょうと返事していた次第で、同氏の執着を考えると実現不能の事だろうと思っていた次第であります。
 ところが、その当時大学のリーダー格であった高崎貞男(大本)、国重猛、生田八郎、田岡映好氏等が運動され、到底不可能と思っていた伊勢氏をして、私にどうぞ頼むと云われる様に仕向けられたのには驚きました。
 その後隆々として進展し、五校連盟、六大学時代には何時の会でも他校を引離して、優位を占め、諌山勝保、前田一二氏の頃には特に目覚ましいものがありました。
 戦時中、一時休止しましたが、終戦後いち早く戦前にも増す興隆をみたことは、ひとえに藤井先生のお蔭と思っております。
 もともと不才の私が一層未熟であった頃、私の為に働きかけて頂いた方々、以後次第に集って頂いた方々の恩を思う時、誠に感謝に堪えない次第でありますが、これを顧みる時、何一つとして風韻を伴わざるものはないと云う様に考えるようになりました。
 又世情一般の取引と云う場合でも、その人の話方、態度あらゆるものに風韻のある事を見出して接すれば人生百般非常に潤を持つのではないかと思う次第であります。
 この30年間に神戸大学を卒業された多くの方々が、風韻豊かな心持で社会で活躍されている事を思いますと私の心も独でに豊かになります。
 又代々の幹事諸氏にそれぞれに優れた人が出られ、今回歴史をまとめて、一つの誌とされるようになった事はこの上もない有難い事だと思います。
 それぞれの人の働き、又自然の風物にしても益々、風韻豊かなる成長を遂げ、住み良き社会のだんだん大きくなる事を祈って止みません。

        :::::::::::::::::::::

神戸大学風韻会 1961年(昭和36年)3月発行の会誌「風韻」創刊号より引用 


神戸大学能楽部(風韻会) 合宿履歴

西暦 和暦 月日 種類 場所 部員数 OB数
1960年  昭和35年 07.12~07.18 夏期合宿 淡路島 洲本千福寺 25 3
1961年 昭和36年 07.11~07.17 夏期合宿 高野山 明王院 20余 4
1962年 昭和37年 04.09~09.12 春季強化合宿 再度山 大龍寺 21 0
07.11~07.17 夏期合宿 吉野山 竹林院 27 6
1963年 昭和38年 03.27~03.31 春季強化合宿 京都 東寺 19 4
08.24~08.31 夏期合宿 摩耶山 天上寺 35 7
1964年 昭和39年 03.01~03.07 春季強化合宿 高知市 雪蹊寺 33 1
08.24~08.31 夏季合宿 滋賀県 海津天神社 45 5
1965年 昭和40年 03.01~03.06 春季強化合宿 吉野山 東南院 42  
08.25~09.01 夏季合宿 信州戸隠宝光社 築山旅館 42 4
1966年 昭和41年 03.02~03.08 春季強化合宿 三重県志摩郡大王町波切 38 3
08.25~09.01 夏季合宿 岡山県津山市 誕生寺 45 6
10.16~10.18 3・4年男子強化合宿 六甲台部室・摩耶山天上寺    
1967年 昭和42年 03.02~03.09 春季強化合宿 和歌山県南部市 紀南労祷学園    
06.02~06.04 ジュニア合宿 摩耶山天上寺王蔵院    
08.26~09.01 夏季合宿 綾部市    
1968年 昭和43年 03.03~03.10 春季強化合宿 小豆島土庄町小部    
05.31~06.02 ジュニア合宿 摩耶山天上寺王蔵院    
08.27~09.03 夏季合宿 長野県白馬村 民宿「中屋」    
1969年 昭和44年     3月 試験延期・ストライキ・バリケード等のため春合宿中止     
04.11~04.13 臨時強化合宿 摩耶山天上寺王蔵院    
08.21~08.27 夏季合宿 和歌山県 熊野本宮    
10.10~1012 ジュニア合宿 宝塚市 中山寺    
1970年 昭和45年 05.29~05.31 ジュニア合宿 再度山 大龍寺    
08.24~08.31 夏季合宿 岐阜県上宝郡一重根温泉    
?.12~?.14 秋季強化合宿 再度山 大龍寺    
1971年 昭和46年 05.14~05.16 ジュニア合宿 再度山 大龍寺    
08.27~09.03 夏季合宿 長野県美ヶ原山頂    
1972年 昭和47年 08.29~09.05 夏季合宿 長野県 松原湖    
1973年 昭和48年 03.02~03.08 春季強化合宿 滋賀県余呉町 正源寺   1
08.05~08.12 夏期合宿 滋賀県伊吹町    1
1974年 昭和49年 03.02~03.08 春季強化合宿 淡路島 津名郡五色町   1
08.03~08.10 夏期合宿 岡山県 蒜山高原   2
1975年 昭和50年 03.01~03.07  春季強化合宿 淡路島 津名郡五色町    
05.16~05.18 ジュニア合宿 摩耶山 天上寺蓮華院    
08.05~08.12 夏季合宿 兵庫県美方郡美方町城山   3
1976年 昭和51年 03.01~03.07 春期強化合宿 淡路島 津名郡五色町    
05.14~05.16 ジュニア合宿 再度山 大龍寺    
07.30~08.06 夏期合宿 滋賀県近江今津   6
1977年 昭和52年 03.01~03.07 春期強化合宿 滋賀県余呉町 正源寺    
05.13~05.15 ジュニア合宿 摩耶山天上寺王蔵院    
08.03~08.10 夏期合宿 兵庫県美方町 民宿「イヌワシ」   5
1978年 昭和53年 03.03~03.09 春期強化合宿 兵庫県美方群浜坂町諸寄 民宿「まるや荘」 20 1
05.13~05.15 ジュニア合宿 摩耶山天上寺王蔵院    
08.04~08.11 夏期合宿 滋賀県余呉町 民宿「文右衛門」   6
1979年 昭和54年 03.02~03.09 春期強化合宿 和歌山県日高郡由良町 旅館「中長」    
05.13~05.15 ジュニア合宿 摩耶山天上寺王蔵院    
08.03~08.10 夏期合宿 兵庫県美方町 民宿「イヌワシ」    
1980年 昭和55年 03.06~03.12 春期強化合宿 小豆島内海町 民宿「きらく荘」    
08.05~08.12 夏期合宿 兵庫県城崎郡日高町 民宿「陽喜」   4
1981年 昭和56年 02.27~03.05 春期強化合宿 小豆島内海町 民宿「きらく荘」    
05.15~05.17  ジュニア合宿 摩耶山天上寺王蔵院     
08.05~08.12 夏期合宿 兵庫県養父郡関宮町 民宿「てるや」    
1982年 昭和57年 03.06~03.12 春期強化合宿 小豆島内海町 民宿「きらく荘」     
05.14~05.16 ジュニア合宿 摩耶山天上寺王蔵院     
08.05~08.12 夏期合宿 兵庫県養父郡関宮町 民宿「いしんぎょうや」   4
1984年 昭和59年 03.02~03.08 春期強化合宿 小豆島内海町 民宿「きらく荘」    
05.18~05.20 ジュニア合宿 摩耶山天上寺王蔵院    
08.20~08.27 夏期合宿 滋賀県近江今津町 民宿「よしのや」    
1990年 平成 2年 3月 春期強化合宿 小豆島内海町 民宿「きらく荘」    
5月 ジュニア合宿      
8月 夏期合宿 兵庫県「氷ノ山家」    
1992年 平成 4年 3月 春期強化合宿 小豆島内海町 民宿「きらく荘」    
5月 ジュニア合宿      
8月 夏期合宿 兵庫県「氷ノ山家」    
1993年 平成 5年 3月 春季強化合宿 小豆島内海町 民宿「きらく荘」    
ダウンロード
神戸大学風韻会OB会総会(年次)
神戸大学風韻会在籍者の年次総会一覧表です。卒業後謡曲から遠ざかっている人も含め懇親の場として、講演会を中心に開催されていました。
神戸大学風韻会OB会総会.pdf
PDFファイル 41.0 KB